愛か、幻か。

知ってる?

あなたと私は、

同じとこから、生まれてるんだよ。

同じ源から、現れてるんだよ。


ある人はそれを、「幻」と呼ぶ。

私は、「愛」と呼ぼう。


だって、

そこかしこにあふれる生命があって、

それを生み出す知性を目の前にして、

今、泣きそうになるから。

愛の気持ちで、いっぱいになるから。


書くと、ちょっと照れるけどね。


証明するのは難しいけれど、確かにここにあるもの。

他のなにものかにならないで

あなたの本来の姿は

なにものにも代え難い

尊い存在だよ


苦しいのは、

何かがずれてるって、

教えられてる証拠だよ


どうか

他のなにものかなんかに

なろうとしないで


〜するべき

〜でなければいけない


そんな気持ちには、

ひそかに他の人間像と比較し、争う気持ちが

隠れてる

それじゃ、決して平和にはならない


本当に、〜するべき、と言える?

本当に、〜でなければいけない、と断言できる?

物事を別の側面から考えてみることが、

あなたの心の、そして世界の平和への第一歩。


〜もいいし、〜もいいね。

自分にも、他の人間にもそれを許せたら、

この世界にあるたくさんの個性、素質が輝き始める。


みんな違って、みんないい。

それはきっと、調和の世界への第一歩。



死にたくなるとき③

消えたい、と思うとき。
自分はもうここから逃げられない、
現状から変われない、と思うとき。

一回、今の「自分」をやめたら
どうだろう。

物理的に、場所を移動するでもいい。
思い切って誰かに相談してみる、でもいい。


私も、そうだったよ。
とある仕事で、自分ではもう、無理って言ったんだ。
そしたら、職場変えてもらえたんだ。
変えてもらえるなんて、自分では
思いつきもしなかったんだ。

あと、死ぬ覚悟で、
今ある人間関係を終わらせたこともある。

あと、
どうせ死ぬなら、
音楽やってみようって、思って
生き延びたこともあるよ。


一回、死ぬ覚悟で、
今までやってみたことない事を、
やってみたらどうだろう。

物理の法則然り。
小さなことでも、確実に、

何か変える力を持ってるよ。

死にたくなるとき②

死にたくなるときの、別パターン?、考えてみた。

自分には何もできない。
生きていても、楽しくない。
自分のやりたい事も、わからない。
自分には価値がない。
そんな気がするとき。

自分以外の、何ものかになろうと、してたり。
あるいは特別な存在に、「なろう」としてたり。
そんなことが、あった。

立派な人。
役割や義務を果たせている人。
親や社会から、認められるような人。
好きなことで仕事して成果を出してる人。
目に見える形でひとを喜ばせることが出来る人。


そんな風に思っている方に、朗報。
本来、ひとはみんな、特別な存在。
みんな違うし、みんないい。
みんな、なんにも、問題ない人。


当たり前のようでいて、
そこが腑に落ちてないと、
(色眼鏡を通した価値観で見てしまうと)
めげる。


自分はだめだ・・・
自分には根本的に問題がある・・・
とか。


わたしたちは、ひとと比べる。
違いがある。
そこに発見がある。

そこまではいいのだけど、そこから、
「良い」とか「悪い」とか、
「優れてる」とか「劣ってる」とか、
「評価」や「ジャッジ」が入るから、
「問題」がうまれる。


只々、それぞれ、違う。
ちがった特徴がある。
ただ、それだけ。


良し悪しとか、優劣とか、
「ジャッジ」をやめると、

自由になれる。


事実としてわたしという存在やこの一生に本当に価値がないとは、
言えなくなる。


今、目の前は奇跡であふれている、

という実感が、湧いてくる。
かもしれない。

ネガティヴスパイラルからの、脱却?

【ネガティヴスパイラルからの、脱却?】

要するに気づきが大切と言ってしまえばそれまでなのだが、
先日、そこから脱出する糸口を、発見した、かも?
と思った。


なんと言っても、ことネガティヴさの歴史にかけては右に出るものはいない、と、思っている私である。

「嗚呼、晩御飯どうしよう・・・」
「嗚呼、また今日もお惣菜とか・・・」
「嗚呼、なんかもうまたお惣菜とか、美味しくないし、気持ち悪いし・・・」
「嗚呼、なんてヒドイ母親なんだ・・・」
「嗚呼、自分にはもう無理だ、無理、無理」
「嗚呼、もう最悪・・・」


ここでふと、違和感を感じたわけである。
「ん?これは、このダークな結末は・・・
本当に、私の、望んでいることか???」
「なんか、毎度お馴染みの結末、もうそろそろよくないか?」


そして、ふと、思ってみたわけである。
「そうや、そんなにお惣菜食べるのが嫌やったら、めっちゃ簡単な「卵料理」やったら、作れそうやし、美味しそうやん」



ネガティヴに陥るのも簡単な私だが、
復活するきっかけも、案外、
ほんの些細な出来事に、潜んでいるのかも知れない。


あるいは、もうこれでもかっていうくらい、飽きるくらい、ネガティヴな考えを突き詰めてみたからか。。。


でも、真似して死なないでね。


アドバイスするということ

【アドバイスするということ】

友人の話を聞くうちに、気になってしまったこと。

もっとこう考えたら幸せなのに
これはこう考えたほうがうまくいくんじゃないか

でもそんなものは、全部自分のエゴだ。
その人の歩む、その人の人生を、尊重していない言葉だ。

息子が一緒懸命、服のボタンをかける。
出来なくて、悔しくて、泣きながらも、頑張ってまたトライする。

私は、ただ見守ることしかできなかった。
きっと息子が、自分の力で、成し遂げたいことだ、そう感じたから。

きっと友人についても、同じようにするしかないのだ。

助言し、介助し、介入することもできる。
でもそれは、本当に相手の望むことだろうか。

もちろん、それらを相手が望んだとき
    側にいるよ
そう、伝えておくことはできるけれど。

きっと、心の底から本人が納得しなければ
本当の意味では何も変わらない。
不幸を選ばなくなることも。
正しさを競うのをやめることも。

時に私たちは、見守ることしかできない。

人生は、他の誰のものでもない。


死にたくなるとき①

死にたくなるときって、
自分で身の回りのこと(環境や状況や出来事による影響)を変えられない、コントロールできないと思うとき
変えられないから、もう無理だと思う、現状からも抜け出せないと思う
そんな時が、
一つのパターンとしてあるかもしれない、と思った

そんな時は、
とりあえず、落ち着こう
深呼吸しよう
それから、
ほんの少しでもいい、
どこか身の回りの一部を、掃除してみよう

皿洗いでも、机の上でも、鞄の中身でも
スマホの中でもいい。
要らなくなったメーリングリスト
停止するのもいい。
アドレス帳から削除するのもいい。
道端に落ちてる、ゴミを拾うのもいいね。
シャワーを浴びる、歯を磨くのもいい。

それだけで、
今すぐ死にたい気分が、少し落ち着くかも。
ほんの少しでも、
まだ出来ることがある、
現状を変えられることがある、
って思えるかも