苦しみは、置いておける

苦しみは、置いておける
苦しみに、気づいていることができれば
苦しみ続けることは、とらわれの選択、考えの主観
苦しみに染まり、苦しみそのものになることは、まるで頭の中を生きるよう

それを、あえて、離して観ると、
そこに、ある、幸福感が、流れこんでくる

頭の中で必要以上に大きくしたモンスターが

わたしを盲目にしていたと気づく

煩わしい人は、助けを求めている人かもしれない

先日、子供とショッピングモールのなかのゲームコーナーに行ったとき

おそらく5〜6歳くらいの、バケツいっぱいのメダルを抱えた女の子が近寄ってきた。
かと思うと、私達が遊具にお金を投資せずに楽しんでいた(ごめんなさい)ことにああだこうだと、文句を言いだした。

正直、煩わしいと思った。
そして、無視してしまった。

女の子は、どこかへ行ってしまった。

後で気づいたのだが、
周りにその子の保護者が見当たらない。
どうやら、ずっと一人で遊んでいるようなのだ。
バケツいっぱいのメダルを渡されて。

キャッキャ キャッキャと遊んでいる私達がどうして気になったのか
本当のところはわからない。

ただ、私は、自分の罪悪感にかまけて
その子にとっての事情を考えてみなかったこと
その子の「心」を無視してしまったこと
自分よりも、目の前にもっと助けを必要としているかもしれない人がいる事に、気づけなかったことを
恥じた。


女の子は
黙々とメダルゲームを続けていた

幸せを、体感しよう

頭で考え、りくつで分かっても、
体感しなければ、
幸せ、なんて言えない

そして、それを体感するには、
感覚が必要なわけで

気づき、受けとる
そんな感覚を磨くことも大切。

だから、今、わたしの中で起こっていること
悲しみも 喜びも
良い悪いなく、ありのままに感じ、受けとることを、

積み重ねよう。

感覚という事実の結果について
わたしたちに出来るのは
受けとること

そして、そこから気づき、学ぶこと。

愛されないと感じるとき

愛されない と感じるとき

そう考え続けることで
なにかいいことはあるのか
この感情の目的はなにか
考えてみる

それは
これ以上期待して傷つかないよう
自分を守ることかもしれない

愛されない
そう感じてしまう理由
きっといくつもある
出来事や、環境や、受け継がれた価値観
でも
過去は変えられない

自分は今そう、感じる、ということ
ただ、受け取る

今、そう感じること
それは事実であり、結果だ
良いも、悪いも、ない
ただ、そこにフォーカスし続けることは
わたしの選択だ

愛されないと感じること
そこにとどまることで
これ以上良くなることがない
感じることを変えたい
そう思い始めたとき

愛されない そう感じることを脇に抱えながらも
今自分の果たすべきことをする
与えられていることに注目し、感謝し、
自ら与えお返しする
自分にできることをする
という選択をする

すると
愛されている という一面も
感じ始められる

のかもしれない。

罪を犯したとき

罪を犯したとき


事実のあとに何をつけたしても、

どこにどう逃げても、

事実は変えられない、差し引かれない


それでも そこから考える

ここにわたしがいる理由

ここで息をしている所以


事実から目をそらさず

苦しみという結果を受けとり

そこから学ぶこと


罪悪感というエゴにとらわれず

今この瞬間の役割を果たすこと

今日一日善をなすこと


苦しみを受け止め

苦しみにとらわれず

生きること



一日は今日も与えられた



おさるのジョージに学ぶ、生きる力と生きるベクトル

先日、子供と一緒におさるのジョージのアニメを見たのだが、もうすっかり感動してしまった。
マラソンがとっても苦手な友人の館長さんをなんとか完走させようと、必死になって助けるおさる。そこでおさるが館長さんに差し出すものが何とも素晴らしく、そこで私は、大げさに言ってしまえば、人生の縮図を見た。

走り続けるために必要なのは、水分補給。
そして、ちょっと先(それは真のゴールの過程)にある楽しみ。
そして、もう少し先を思い描くために必要なのは、観覧車の上から世界を眺めること。。。

何とも、素晴らしくないだろうか。

学べることは、それだけではない。
おさるはいつも、問題があると、どうしたら目的が果たせるか、経験から考え、アイデアを出し、やってみる。
うまくいかなくても、また考え、アイデアを出し、やってみる。

私達はいつも、いきなり「正解」することを求めてしまう。
(往々にして世の中がそれを求めていることもまだ、多い。)
だから、
ちょっと失敗すると、
もう二度とやらないと決めたり、
それだけで自分を全否定してしまったり、
やる前から諦めたり。

だけど、今日一日を生きるのに、そんなにかしこまらなくていいのだ。失敗したって、それで死んでしまうことはないのだ。今日、やりたい事はなにか、そのためには、どうすればいいか、考え、アイデアを出し、選択し、行いをする。失敗したら、また考え、アイデアを出し、選択する。ただ、それを繰り返してればいいんだ。

そういう「今日」を、積み重ねる。
それは、「生き抜く」力になる。
そう感じた。

そして、時には「水分補給」を。

生きる力を身に付けたいなら、おさるのジョージに学べ!

そんな気がした話でした。