こころのひなた

ひとは、変われる。今からでも。

「今、ここ」だけとは

「今、ここ」だけ とは


とある母娘を見ていて、ふと、思ったのだ。

なんで、そんなに幸せそうなのだ?


ちょうど私は、子育てに関して

絶望を抱えていた。

私には「問題」がありもう何もかも無理だ

その原因は云々云々・・・

そして世界は云々云々・・・

まただ、もう、生きていくのがつらい。


なす術なくうなだれていると、

しばらくして、とある母親に話しかけられた。

何歳ですかとか、保育園がどうだとか、

うちではこんな「問題」があってね等々、

とりとめもない話をした。


少し、気が和らいだ。

一人抱えていた「問題」を、

とりとめのなさ、どうしようもなさ、

よくある普遍的な「現象」としての

認識に変わったのだと思う。


そこへきて、あの母娘だ。

「なんなんだろう。」

その光景は、私に「違和感」をもたらした。

母親は、笑っていたのだ。

3人もの子供を抱えて。

まるで、悩みなんか、「存在しない」みたいに。


そうなんだ。きっと、事実、

あの母親の「今」には、悩みは、「存在しない」んだ。

何故なら、あの母親は、「今」「幸せ」だから。


そのことは、なんでもないようだったけれど、

眠りにつく前、なんとも言えない、

ずっとずっと味わえなかった「幸福感」で満たされた。

そして、その出来事をふと、思い出し、

私の中でものすごく重要な出来事となった。


「今」「幸せ」を感じているとき、

そこに「悩み」は介在し得ない。

何故か?

「悩み」は、自分が創り出したものだから。

「悩み」は、全部、自分が勝手に頭の中で考えていることであって、幻だから。

不可分離であった「私」と「問題」の間に、隙間が生まれた。


「今」実際に起きていることと、そうでないこと、そこの区別が、腑に落ちた。気がした。

そうなると、悩みは、いつだって手放せる。

もちろん、意図的にその現象について、考えてみることも、できるけど。


それでも、以前の私が、同じ境遇にあったとして、同じことに至ったか?

それはわからない。

ただ、言えるのは、

悩みに悩みまくって、悩むことにすら嫌気がさしていたこと

そして

完全に「今ここ」にいるひとの光景を見て、それがあまりに自分と対極であったこと


与えられているのは、今、ここ、だけ

なのだなぁと思った。

過去の悩み云々も、未来についてのやきもきも、

引っ張り出せば、それは

「今」の悩みになる。

たった今、起こった出来事も、もう、

過去のものだ。


今、何を感じるか。

悩みか、心地よさか。

それは、選択できることだった。