今を大事に感じ考えたほうがいい理由

不安なとき、焦ってるとき

怖れがあるとき、死にたいとき


結局みんな、楽になること、解放されること、つまり、

自由を求めてる


何かを外から得て満たされる自由には、

限りがある

範囲にも限りがあるし、時にも終わりがある


真の自由(それは、手に入れるのではなく

気づくだけでよいのだけれど)

限りのない自由に、気づくこと、

その大事さに気づくまで、

人は限りなく求め続ける

不安は続く


第一歩は、

主観に気づき、視点を広げて

これやそれの、価値をみていくこと

良い悪いの判断を手放すこと

それぞれに、それぞれの良さはある

でも、そこに価値を重く起きすぎないこと


それから、

リアリティをみること

解釈、していることに気づくこと

感情や考えが、沸き起こっている、

そのことに気づくこと

ひとや、生命や、名前のついたもの一つ一つを、

それはどう成り立っているのか?

素粒子や空間を成り立たせているのは

一体なにか?

みていくこと


そして、

今ここでわたしがはたす行いが

どうつながっていくのか

考えみていくこと

どういった行いがどんな現象を生むのか


すると

今調和という心地よさにつながる選択をすることの大切さも

見えてくる気がする

そんな気がした


だから、

掃除しよう。

側にいるひと、もの、ことを

大切にしよう。

もちろん、いちばん身近な

わたし、身体、考えも。


そのために、気づいていくこと。

今、どんな感じか。反対の視点はあるか。

今、なにが起こっているか。

どんなことに、つながるか。



愛、奇跡を感じ、感謝しよう。




情報インプット前に、目的アウトプットを

情報インプット前に、目的アウトプットを

最近、気をつけたいなと思っていること

情報インプット量は多いけど
活用度が低い場合、
そもそもなんのために情報を集めているか、
目的を持っていないことが多いように思う

答えをみつけるのには、
必ずしもインプットが必要
なわけではない

案外、それって自分の気持ちや決断次第、
てこともある

本当は大切なひとを幸せにしたかっただけのに、
いつのまにか、そのためのひとつの道具である
お金や、自己管理のノウハウばかりに
走ってしまったり。

情報に、正しさの根拠を求めて、
何が正しいのか?、永遠の「正しさ」の迷子になったり

きっと、永遠に正しいことなんかなくて、
物事には色んな側面があって、
情報は、新たな一面を知るための
ひとつのひらめきのツール

正しいこと、ではなくて、
今、果たしたいことのために、必要なこと
そして、果たしたいことは、
いつも、わたしの中にみつけること

アンテナのはりかたを
間違えないようにしたい


後悔

後悔がとまらないとき

〜すればよかった
〜しなければよかった
とまらない
そのことばかり、頭の中で反すうしてしまう

後悔。
それはまるで、
わたしという存在の、もろさを、とりつくろうようだ。

もろいところ、不完全なところ、
そんなの全部、包み込めたら。
きっと、過ぎたことは全部、肯定できる。
後悔は、起きない。

後悔がないと、そのぶん
「今」を見れる。
今ここで起きてることと、向き合える。

そのためにも、思うことにしよう。
とりつくろう必要はない。
事実は、ありのまま、変わらない。



後悔してるとき、思い出したいこと。

①わたしは、最善を尽くしたと、言ってみる
そのとき、その状況は、最善であった
そのとき、そのわたしは、それが精一杯だった。
②結果はコントロールできない
全部思い通りにすることなんて、できない
過去を変えることも、できない
そもそも、わたしはなにを怖れているか
〜すればよかった/しなければよかったのは、何のため?
相手に気に入られるため?相手を傷つけないため?相手とずっと共にあるため?
それは、本当に、必要不可欠なこと?
それが叶わなかったら、最悪、何が起こる?
人間は、不完全。
悪いことしてしまったと思うのなら、謝ろう。
たとえその人がもう目の前に、いなくとも。
不完全さを受け入れ合えない人間関係なら、どのみち続かない。
不完全という事実を受け入れるからこそ、これからの修復の道の模索や、今後同じようなことが起きたときの改善も、やっていけるのかもしれない。




焦り

焦り

わたしは、なにを焦っているのだろう
なにを、早くしなきゃ、と思っているのだろう
どんな状態に、追いつこうと、しているのだろう
何をしなければ、取り返しがつかないと、思ってるのだろう
どんな結末に至ることを、コントロールしようとしてるのだろう(それは決して、コントロールできないことだけれど。)


わたし自身は、いつも安全なところにあって
それでいて映画のスクリーンの中にいるみたいに
焦る

そこには
わたしがこの身体を使ってもっと出来ることがあると思っているのかもしれないし
わたしが、わたしに与えなければならない、と思っている、不足感があるのかもしれない

不足感を埋め合わせはじめたら、
永遠に、埋め続けなければいけない
そんなふうに、「焦って」
なにかをするのでなく

ただ、ここにいるだけで
何の問題もないことを知ったうえで、
「わたしは、今、これをすることが一番だ」
そんな、満ち足りた気持ちで、選びたいものだ

それは、
結果はコントロール出来ないことを知っている
そして、
最終的にわたしがどうありたいか、
知っている状態だ



それでもどうしても、焦っちゃうときは、
自分が期待してる結果を書き出して、
そこに至るまでに、今出来ることをリストアップして、
とにかくこなそう。

自分ひとりでどうにも出来そうにないことなら、
思い切って、ひとを頼ろう

出来ることと、出来ないこと、
やりたいこと、やりたくないことを、
分けてみよう

やれること、やりたいことがわかったら、
あとは、今やることに集中しよう

でもたまに、
それが本当に自分の望みなのか?
本当にわたしの果たしたかったことなのか?
確認しよう




死にたくなるとき④

死にたいとき④

わけもなく、不安。
わけもなく、怖れ。
ここにいられない、
このまま、いられない、
やめたい。

何かに追われていると、
そんな気分になることがある。
それは、日常だったり、過去の出来事だったり、未来へのプレッシャーだったり。
頭の中の「考え」だったりする。

忘れたくないのは、
そんな、「気分」=わたしそのもの、ではない、ということ。
気分は、変わるもの。
まとわりついてる、だけのもの。


そんな気分にも、きっと、わけがある。
何かを、教えてくれてる。
わたしは、それは、勘違いだよって、
教えてくれてるんだと、思ってる。
自然のままで、幸せを感じること、思い出していいんだよって、
教えてくれてると、思ってる。


一回、書くとかして、外に出して、眺める。
すると、
自分とぴったりくっついてた、そんな考え方から、
少しだけ、離れる。

静かなところで、呼吸をする、
そしてそれをじっくり、味わうこと。
ただ、ここに存在するだけで、
どんな気分が起こるか、味わう。

自然や、動物や、生き物を、みつめてみる。
空を見上げてみる。
あるがままで、なんの問題もなく、
ただそこにいること。
それでいて、美しいこと。

陽だまりのなかに、浸ってみる。
一歩一歩、歩く、感覚。
しばらく歩いて、とまった後の、軽い疲労感。
部屋の、布団の中の、温かさを、味わう。
お風呂の、お湯の、感触。
ストレッチしたときの、筋肉の、感触。
手足や、背中や、お腹や、首や、胸の、広がり。

ただ、生きていることを、味わってみる。

目に見えるように、愛されなくても。
期待するように、愛されなくても。
夢に見た「自分」でなくても。

まぁ、いっか、と思えると、
実際問題、生きていけそうだよ。

「期待」は、妄想。
「被害」も、妄想。
思い通りにならないっていうときの、幼いかんしゃくだ。
あるいは、自意識過剰だ。

でも、大丈夫。
そんなところもひっくるめて、
わたしたちは、ひとりひとり、
この世界を彩る大切な存在。

苦しくなってもいい。
でも、苦しみは、
まとわりついた考えが、起こすもの。
あたなの「素」の姿には、
何の問題もない。


わたしは、このままでは、生きていけない。
わたしは、もうだめだ。
それは、本当か?

それとも。。。

愛か、幻か。

知ってる?

あなたと私は、

同じとこから、生まれてるんだよ。

同じ源から、現れてるんだよ。


ある人はそれを、「幻」と呼ぶ。

私は、「愛」と呼ぼう。


だって、

そこかしこにあふれる生命があって、

それを生み出す知性を目の前にして、

今、泣きそうになるから。

愛の気持ちで、いっぱいになるから。


書くと、ちょっと照れるけどね。


証明するのは難しいけれど、確かにここにあるもの。